エクトール・ギマールのアールヌーヴォ建築を見て回る【パリ16区】

 フランス現地ルポ  994

 地球の歩き方に住所が掲載されていたギマールの建築物を実際に見てきた。

位置図(Google Map)

No.名前, 住所(建築年)
1Castel Béranger, 14, de la rue La Fontaine (1898)
2Immeuble Trémois, 11 Rue François Millet (1910)
3Hôtel Mezzara, 60 rue Jean-de-La-Fontaine (1911)
4Hôtel particulier, 3 Sq. Jasmin (1922)
5Immeuble Guimard, 18 Rue Henri Heine (1926)
6Immeuble Houyvet, 2 Vla Flore (1926)
7Hôtel Guimard, 122 avenue Mozart (1909)
8Hôtel Deron-Levent, 8 grande Avenue de la Villa-de-la-Réunion (1904)
9Immeuble Jassedé, 142 avenue de Versailles et 1 rue Lancret (1905)
10Atelier Carpeaux, 39 boulevard Exelmans (1895)
地球の歩き方とWikipediaより。

エクトール・ギマールとは

 1867年3月10日、リヨンで生まれたエクトール・ギマールは、1882年にパリの装飾芸術学校に入学し、シャルル・ジュヌイの工房で学び、1885年にエコール・デ・ボザールに入学した。1889年の万国博覧会で発表された「電気館」は、ヴィオレ・ル・デュックの「芸術についての論考」の影響を強く受けたネオ・ゴシック建築と現代素材の使用に対する彼の好みをすでに予感させるものであった。
 1894年から1895年にかけて、イギリス、オランダ、ベルギーを旅行し、ポール・ハンカルやヴィクトール・オルタと出会い、彼の知的訓練は完了した。
 1895年から1898年にかけて建設された「Dérangé(※注釈1)」の愛称で親しまれるCastel Bérangerの完成により、27歳の建築家はアール・ヌーヴォーの巨匠となったのである。1897年からギマール自身が1階に住んでいたこの低家賃アパートは、第1回目パリ市ファサードコンテストに入賞し、画家のポール・シニャックら最初の入居者たちに熱狂的に歓迎された芸術的マニフェストであった。

Histoire de Paris - Le Castel Bérangerの看板より。DeepL翻訳+筆者加筆修正。
※注釈1:フランス語で邪魔する・迷惑をかけるの意味。建物の名前Bérangerをもじってつけられた。
Histoire de Paris 看板

1.Castel Béranger(1898)

 ギマールの建築の中ではこの建物が一番美しいと思う。

 実際、リスト2番目の建物を撮影している時に、犬を散歩中の通りがかりのマダムから「ギマールの建物を撮影しているのね?あっちの建物がもっと綺麗だから行ってみなさい」と勧められたぐらいである。

建物外観。

正面入口。

複雑な造形である。

 入口のドアを撮影していると、通りがかりのオジさんから「ギマールのデザインはメトロ(地下鉄)の看板でも使われてるんだ」とまたしても声をかけられた。普段は声をかけられることは無いので、ギマールの建築物は地域住民に愛されているのだろう。

2.Immeuble Trémois (1910)

 この時代は、ギマールはパリ建築の流行をリードする存在ではなくなったが、住宅・アパート、モニュメントの設計と建設を続けた。地球の歩き方には、向かって右側にある赤色のシャッターのカフェ「クラヴァン」が紹介されている。

建物外観。

正面入口。

3.Hôtel Mezzara (1911)

 ポール・メザーラのため建設されたホテル。天窓を実験的に導入した建物ということが、現在は建物自体が使われておらず、中を見ることは出来ない。あまり管理はされていないのか、雑草が生え放題になっており、寂しい印象を受けた。

建物外観。
正面入口。

4.Hôtel particulier (1922)

 関係者以外は立ち入り不可能になっていたので近くで撮影できず。奥側に駐車している車の左側の建物がギマールの作品である。

 あまりギマール感が無い建物だったので後から調べてみると、第一次世界大戦の直前に標準的な住宅を控えめな価格で建設することを意図して作られた小さな住宅のようだ。しかし、残念ながら他に作られることはなかった。

関係者以外立ち入り禁止になっていた。

5.Immeuble Guimard (1926)

 この集合住宅は、ギマールの最後の大プロジェクトであった。1928年、彼はこの建物をパリ市ファサードコンテストに応募した。彼は再び優勝し、2度応募して2度優勝した最初のパリの建築家となった。この建物はギマールの住居としても使われている。

 一つ気になったのは、建物外観にギマールの署名が見つからなかったこと。修復工事の際にでも消えてしまったのだろうか。

正面外観。

雨樋のデザインにもこだわりが見られる。

6.Immeuble Houyvet (1926)

 実業家ミシェル・アントワーヌ・ポール・ユイヴェのために建てられた住宅。

建物外観
ギマールのデザインっぽい道路名看板

7.Hôtel Guimard (1909)

 アメリカ人の画家、アデリーヌ・オッペンハイムとの結婚を機に建設された。敷地が三角形になっていることから、ギマールにとっても特に難しい場所だったようだ。現在はアパート用に分割され、当時の部屋の配置や家具はなくなっているとのこと。

建物正面
建物横側

建物裏側はかなり細くなっている。

感想

 今回は地球の歩き方に住所が掲載されていたパリ16区のギマールの建築のうち、1番から7番まで見て回った。ギマールの建築物の内部は一般公開されていないので、外観だけ見て回っただけなのだが、ギマールのデザインは特徴的で面白かった。

 流行の波に乗ることが出来ず不遇な晩年を過ごしたギマール。確かに万人受けするようなデザインでは無かったのかもしれないけれど、ギマールが残した特徴的な建物達は、今でも地域住民に愛されている。

参考資料

・Wikipedia - https://fr.wikipedia.org/wiki/Hector_Guimard

・地球の歩き方 - パリ&近郊の町 2021~2022



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